#1『物語のないコンテンツは、ただのノイズだ』

広告も、記事も、SNSも。
誰かに届けようと思って作るすべてのものに、最近“物語 ”が求められている気がする。いや、昔からそうだったのかもしれない。ただ、今ほどそれが「顕著に、可視化されて」なかっただけだ。
情報が洪水のように流れるこの時代。
人は、論理や数値で動くと思われがちだけど、本当のところ、感情でしか動かない。理屈じゃなくて、「なんか、いいよね」と思えるものだけが、残る。
その“なんか”の正体が、たいてい物語だったりする。
スペックだけじゃ、人の心は動かない。

例えば、ファッションの世界を思い浮かべてみてほ しい。
ただ「素材が良い」「縫製が丁寧」「シルエットが美しい」といったスペックだけなら、正直どんなブランドも言えることだ。
でもマルタン・マルジェラの服は、違う。

壊れたように見えるジャケット。
タグすら付けず、無記名で並ぶ白いラベル。
解体と再構築。匿名性とパーソナルの間。
そのすべてに、「なぜ?」と問いが生まれる。
そしてその問いが、着る人の中に物語をつくりはじめる。
スペックやブランド名じゃなくて、「この服、なんか惹かれるんだよね」という感覚。
それがあるから、人は袖を通す。
コンテンツもまったく同じ。
どんなに性能が高くても、説明がうまくても、
そこに“人の気配”や“背景”がなければ、誰の記憶にも残らない。

本当のことって、だいたい物語の中にある。
売上の数字、PV、CVR。
マーケティングの世界では、すべてが“測れる”ことが美徳とされる。でも、なぜこのブランドを好きになるのか、なぜこの人から買いたいと思うのか――その「理由」は、いつも曖昧で、測れない。
むしろ、そういう「余白」にこそ、コンテンツの本質があったりする。

人は、物語に“自分”を重ねて生きている。
結局のところ、人は自分の物語を生きている。
だからこそ、他人の物語に心を重ねることができる。知らない誰かの失敗、挑戦、喪失、喜び――そういう断片が、自分の過去や未来とどこかでつながったとき、
コンテンツはただの「情報」から、「記憶」になる。

いいコンテンツは、言葉より余韻が残る。
うまい言葉を並べるのは簡単だ。
でも、心を動かすコンテンツって、なにかが“引っかかる”ものだと思う。完璧じゃない。少し不器用で、余白がある。
そこに、受け手が自分を投影できる。
そういう意味で、ストーリーとは「隙」だ。
入り込める余白。解釈の幅。余韻。
そして、たぶんそれが、人を惹きつける理由。

物語は、届ける手段じゃなく、始まりのかたち。
コンテンツにストーリーが必要なのは、
それが“届ける”ための道具だからじゃない。
それがなければ、はじまらないからだ。
物語があるから、人は耳を傾け、目をとめる。
そして、その先の行動は、物語と自分の関係性の中で、静かに決まっていく。
そういうコンテンツが、これからもちゃんと残っていってほしいと思う。
うるさくない、けど、静かに響くものとして。

それでも、一人で立ち上がるのは難しい。
正直なところ、
どれだけ思いがあっても、アイデアがあっても、
一人きりじゃ、動けない日もある。
そんなときは、誰 かと一緒に始めてみればいい。
一歩じゃなくても、半歩でもいい。
もしも今、あなたがなにかを始めようとしているなら、
LIFE PROJECT HARUNOという土壌がある。
挑戦する人の、物語の続きをいっしょにつくっていく場所だ。
肩肘張らずに、素の”まんま”でいい。
物語は、そこから始まる。