#13「作って、で、どーすんの?」
——その先を描けない“ものづくり”

気がつけば、日本中どこへ行っても「ワークショップ」という言葉が踊っている。まるでそれが地域を救う魔法の呪文かのように。
木を切って、組んで、色を塗って、ハイ完成。そこで、いつも思うことがある。
「で、どーすんの?」って。
作ったはいい。でもその先がない。それはつまり、子供のころ言われた「ちゃんと後片付けしなさい」に似ている感じだ。作って終わり。満足して帰る。そこに“使う”とか“遊ぶ”という未来の線が引かれているわけじゃない。

一番最初に夢中になった"ミニ四駆"。
5歳くらいの時、従兄弟のおばちゃんが『手を動かして何か作るのはすごくいいことだからね、ミニ四駆とかいいんじゃない?作ってみなよ』って与えてくれたのが、自分のものづくりの一番最初のキッカケだった。作るのが楽しかった? いや、それだけじゃない。モーターを選び、ギア比を考え、肉抜きで軽量化して、最後は走らせるサーキットへ向かうまでのドキドキと言ったら…
……ん?ちょっと待て、問題が発生。

こんなサーキット、春野にあるわけがない。
5歳の俺にとって、走らせる場所がないってのは致命的だった。でもそれが諦める理由にはならなかった。だからミニ四駆のコースも作った、自前で。仲のいい幼馴染”タカちゃん”と一緒に。林業をやっていたおじいちゃんの、材木置き場でもらった端材をかついで、トンカチと釘でガンガン組んで、なんとなくそれっぽい坂道やカーブをつくった。やりたいからやる。ただそれだけの気持ちでね。書いてて自分でも信じられないんだけど、ほんとに5歳の頃の話だ。
ノコギリの使い方だってわかりゃしない。でも「俺たちのマシンを走らせたい」って気持ちだけは、誰にも負けなかった。
うまく走らなくても、壊れても、また直せばいい。タカちゃんと夕方まで夢中で手を動かして、気がついたら手のひらが木のトゲだらけになってたっけ。
今思えば、あれが自分にとっての“はじめてのプロジェクト”だったのかもしれない。
誰かに言われたわけじゃない。今みたいに公園で遊んでるだけなのに『危ないからだめ!』なんて叫び散らかす親の姿は、ここには存在しない。ただ、やりたくて、二人で走らせるのに夢中だった。その衝動が、俺たちを動かしていた。

少し大きくなってから流行ったベイブレードだってそう。パーツを組み替えて、ベストの回転を探し、対戦する。友達の家に集まって、誰が最強かを決めるおもちゃなんだけど。
大人になって町起こしを仕掛ける仕掛け屋になって、ミニ四駆とベイブレードのすごいところを冷静に分析すると面白いもんだ。「遊び」と「競い」と「成長」がセットでついてきて、俺たちの遊びを夢中に、そして虜にしてきた。子供のプロダクトとは思えないほど、設計思想が緻密だったなって。作って終わりじゃない、“その先の世界”まで、ちゃんとデザインされていたのだ。

よく見る、よく聞くワークショップも、ほんとはそうじゃなきゃいけないんじゃないかな?ただ“作る”のではなく、“何のために”作るのか。作ったあとに“何が始まるのか”。そこまでセットで仕掛けなきゃ、人の心(子供なんか特に)ってもんは動かせない。
『好きに絵を描きましょう』じゃなくて『描 いた絵がTシャツになるよ』ってテーマがあったりするだけで絵を描くという行為に向き合う姿勢が全然違うはずだ。
「モノをつくる」ことと、「コトをつくる」こと。その境界線の上で、俺たちは何ができるのかをずっと考えている。

LIFE PROJECT HARUNOという名前で動き出してから、ずっと大切にしてるのは、“その先”を描けるかどうかってことだ。写真展をやるなら、見た人の心が何かに動いて、次の行動が生まれるように。古民家を再構築するなら、そこに訪れて、泊まって、誰かの人生がちょっと変わるように。
「作って、で、どーすんの?」という問いに、胸を張って答えられるような仕掛けを、これから先もずっと作り続けていきたい。ただの“ものづくりごっこ”じゃなくて、人の物語が、少しずつ進んでいくような仕掛けを。まぁ正直、そんなに簡単じゃないんだけ ど。でもそれが簡単だったら、やる意味もないだろう。
子供の頃に夢中で作ったあのコースみたいに。タカちゃんとトゲだらけになりながら作った、あのどうしようもないミニ四駆のコースみたいに。誰かの心の中で、何かがぐるぐる走り続けるような。そんなプロダクトとストーリーを、この春野という町から仕掛けていきたいと思ってる。
——まだ“その先”を描いてる最中だけど、ね。