#8 『Listen Reading』
──音が交わる、ちょっと粋な読書体験

スワイプ社会への、静かな反抗
気づけば世の中は、指一本で流れる世界になっていた。弾いて、スワイプして、また次へ。情報は軽くて、早くて、便利だけど、ときどきそれは、“味わう”という行為を置いてきぼりにする。

そんな時代だからこそ、あえて「立ち止まるコンテンツ」をつくりたいと思った。耳を傾け、目を通し、少し深呼吸するような読書体験を。
空気ごと、届ける読書体験

動画や写真だけじゃなくて、言葉も扱う仕事をしてるもんだから、文章を書くのも読むのも、毎日のようにしてる。物書きしてる時の集中力って結構えげつなくて、バーっと書いてOK!の瞬間は、サウナでととのってる感じに近いんだよなぁ。でも『文章書いて、読んで』を繰り返していると、ふとした瞬間に思う。
この文字列の向こう側に、もう少し“空気”が欲しいなって。

たとえば深夜0時。Macの前に座って、スタジオペンをくる くる回しながら考えごとをしている。部屋は静かで、心地よいNUJABESビートがそっと流れている。言葉が浮かんでは消え、思考がゆっくりと輪郭を持ちはじめる。そんな時間に書いた文章は、できることならその空気ごと、誰かに届けたいって思う。音、温度、呼吸。目には見えないムードって大事じゃん。そういうことを読み手と、ささやかに共有できたなら、それはもうただの読書じゃなくなるんじゃないかな。
「Listen Reading」
つまり、BGMを流しながら読むっていう、ちょっと粋な読書体験。ただのコラムも、1曲添えるだけで不思議と景色が変わる。夕暮れ時の海辺になることもあるし、冬の朝のストーブの匂いになることだってある。言葉はただの記号じゃなくて、音や匂いや感触と、結びついてるってマジで思ってる。
音と言葉の、小さな共犯関係

映画のワンシーンに音楽が欠かせないように、文章にだって、本当は“BGM”があっていいと思う。そう考えると、記事の冒頭にYouTubeのリンクが埋まっているのも、悪くない。別に、音なんていらないよって人は、スルーしてくれていい。そのへんは、好きに選んでもらえたら。
「この曲を流しながら、読んでください」──なんて書くのは、ちょっと照れくさいけど、その感じも案外悪くない。喫茶店で、店主と交わす「いらっしゃいませ」みたいなものだと思えば、ね。小さなやりとりだけど、あったかくて、ちょっと粋だ。
これは、僕たちなりのホスピタリティであって、ちょっと気取ったOMOTENASHIみたいなもの。別に大げさな仕掛けがあるわけじゃない。ただ、言葉の空気に音を添えて、心地いい時間を手渡すことができたら。その一瞬を、誰かと静かに共有できたら。──それだけで、もう十分だ。
読むという行為が、ほんの少し特別な体験になる。
それが“Listen Reading”。あ、これ調べたって出てこないよ?さっき思いついたんだもん。

実装する。静かに、でも確かに。
だから、僕たちは実装する。このブログに、Listen Readingを。
すべての記事じゃないけど。でも、ある日ふっと「この文章には、音があったほうがいいな」そう思ったときだけ、そっと曲を添える。
読むだけじゃなく、“聴きながら読む”という贅沢を届ける。
本当に忙しない、この喧騒の時代だ。目の前を情報がバ ンバン通り過ぎて、めまいがしてくる時もあるくらい。これはそんな世の中だからこそ差し出したい、僕たちからあなたへの小さな贈り物。これは、ただの演出じゃない。言葉と音が出会う場所に、“心がとまる時間”を、"一旦止まって、考える時間"をつくるため。
これこそが、僕たちなりのOMOTENASHIだ。今は『どういうことだ?ん??』って思うかもしれないけど、いつの間にか癖になって、当たり前になっていくだろう。子供を寝かしつけて落ち着いた一人の時間、新幹線で移動中の車内、ほっと一息つきたい時にゆっくり、じっくり読んでもらえたら。
Listen Readingが始まったら、きっとこんな奴らも出てくるだろう。『あのコラムの、あの音楽。ちょー気に入っちゃって…照。最近よくあれ聴いちゃってるんす』ってね。
そ ういうコミュニケーションに繋がるわけ。カッコつけて言うと『”読む”に”BGM”を掛け算しただけで、接点すらもデザインする』って感じ。

そうやって僕たちはいつも当たり前を疑ってきた。目の前には、贅沢すぎるほどにコンテンツが溢れかえってて、超速で消費されていくだけ。もっともっと豊かな時間になるはずなのになって。
『なんでだろう?こうしたらいいじゃん』ってたくさんのトライアンドエラーを繰り返して、豊かな時間を、特別な体験を、ファンのみんなへ届けていく。
だって僕たちは、LIFE PROJECTだから。