『東京ガスのCMが描く』
──機能ではなく、“感情”を届ける広告

東京ガスのCM『おばあちゃん編』を見て、涙が出たのと同時に、胸の奥がざわついた。今回はこのCMをきっかけに、「人の記憶に寄り添う 広告の力」について考えてみたい。そして、もしも僕たちのCMを発表するとしたらどうなるのか??──なんてことも考えながら考察していきたいと思う。
■ 01|物語は、説明ではなく“余白”で始まる

このCMには、製品説明もサービス紹介もない。語られるのは、祖母と孫が共に過ごした記憶だけ。焼き魚の食べ方を教える祖母。反抗期に言葉をぶつける少年。そして、久々に戻ってきて、魚をかきこむ青年。このCMをパッっと見ても、まさかガス会社のCMだとは思わないだろう。

■ 02|“説明し ない広告”が、感情を揺さぶる理由
人は、スペックでは動かない。「あ、それ、わかる」という共感こそが、心を動かす起点だ。このCMは、商品を主語にしていない。ガスも、火も、魚も、すべてはただの背景。主語は「祖母との記憶」であり、「あの頃の自分」だ。
ストーリーは、商品を紹介するためではなく、感情の通路をつくるためにある。

■ 03|料理が伝えるのは、味ではなく“人”
焼き魚は、どこにでもある料理だろう。だがこのCMでは、それが“記憶のスイッチ”になっている。
● 骨を端に寄せる仕草
● 恥ずかしそうな表情
● なにも言わず優しい表情で孫を見つめる祖母
これらは、どれも説明されていないのに伝わる感情だ。そし てそれが、誰かの祖母の顔、自分の実家の匂いを、鮮やかに呼び起こす。

■ 04|東京ガスは「広告」で何を伝えたかったのか?
企業として東京ガスは、“ガスの便利さ”を語らない。語るのは、「ガスが支える、かけがえのない時間」だ。これは、企業の広告設計における大きなパラダイムシフトである。
「伝える」広告ではなく、「伝わる」広告をつくる。
プロダクトの強みではなく、そこにある“人間の営み”を描いた広告は、何年経っても記憶に残るというわけだ。

■ 05|心に響く広告は、ストーリーで設計する
このCMの本質は、「焼き魚」の話ではない。“ごめん”と“ありがとう”を言えなかったあの日の話だ。その奥行 きがあるからこそ、東京ガスのブランドは「インフラ(生活の必需品であるガス)」から「暮らしの記憶」へと昇華された。

■ 最後に|僕らがCMをつくるなら
東京ガスのCMが描いたのは、プロダクトではなく、「誰かの記憶に寄り添う時間」だった。僕たちが目指しているのも、まさにこういう広告だ。人の心を動かすのは、機能でもPRでもなく──“自分の物語とつながる風景”そのもの。見た人たちの記憶に深く残って”なんかいいよね”っていう感じ。
たとえば、流行や買い物に流される休日じゃなく、自然と触れ合いながら家族や仲間とゆったり過ごしたり、他では絶対に体感できない驚きやワクワクの刺激をモロに喰らったり。春野町だからこそ味わえる豊かな時間の価値を映像にすることで、何気ないけど特別な風景が、人の心を深く動かすはずだ。
『クリック率が高いから』『フォロワーが増えるから』それらは僕たちの広告を創る上での物差しには絶対にならない。
伝えるのではなく、感じてもらう。
僕たちにとってはそっちの方が何倍も大事だからだ。








