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『合理性よりも、風景を信じてみる』
── まんま写真展の舞台裏 #05

たまに聞かれる。いや、けっこうな頻度で聞かれる。


「これ…いくらかかってるんですか!?」


その驚きの声には、少しだけ誤解が混ざってる。まるで、どこかのスポンサーがズドンとお金を出してくれてるかのような聞き方。だけど、実際はそんな大名商売、僕らにはできっこない。もちろん最初は、それなりにお金がかかった。展示資材も、車での搬入も、場所との交渉も。すべてが初めてで、すべてが手探りだった。


でもこれは、「1回きりのイベント」じゃない。「何度でも仕掛けるための仕組み」だった。だから僕らは、展示パネルだってDIYでつくった。板を切って、ボルトで固定した。プロの大工さんが見たら笑われるような作りかもしれないけど、それでも、次の展示でもまた使える。倉庫でも、飲食店でも、時には神社の境内だろうと。どこにでも持ち出せて、組み立てられて、風景になじむように改造できてしまうワケだ。

つまり、僕らにとっての“資材”は、“作品”じゃない。“仕掛け”であり、“仕組み”であり、“信頼できる仲間”みたいな存在だ。

展示とは、ただ見せるものじゃない。風景と人のあいだに会話をつくる“場”だと思っている。だったら、その場づくりに投資することは、何よりも大切な選択だと言えるだろう。


合理性の話だけをするなら、お金を払って業者に頼んで、でいい。もっと言うと最小限の装飾で、紙1枚貼ればそれでいい。でも僕らは、もう少しその先を見ている。“風景を信じてみる”というやり方を、選んでいるのだ。

通常の主催の頭だと仕掛けるたびにコストが掛かってくる方程式なんだろうけど、ウチはそうじゃない。最初にコストも時間もかかるけど、仕掛ければ仕掛けるほど、元が取れていく方程式。『ここにある全て、自分たちで作ってるんですよ』という言葉は、来場しの驚きの表情を生み出し、『場作りと仕掛けの価値』は上がり続け、いつの間にか『あいつら次何やるんだ?』っていうブランドになってくってワケ。


人が集まって、お祭りが開かれ、誰かの記憶に刻まれ、心が躍る。


だから僕らは、つくり続ける。ただの“展示”じゃない。人と風景のあいだに、記憶が生まれる“しかけ”を。そしてまた、誰かの心を揺らすために。今日も春野町のどこかで、僕らは次の「まんま」を仕込み続けていく。


LIFE PROJECT 平山了将

『合理性よりも、風景を信じてみる』
── まんま写真展の舞台裏 #05

『来場者が“のぞく”高さの話』
──まんま写真展の舞台裏 #04

『来場者の疑問が、対話の火種になる』
──まんま写真展の舞台裏 #03

『答えは今じゃない、もっと先にある』
── まんま写真展の舞台裏 #02

『すべての始まり』
──まんま写真展の舞台裏 #01

まんま写真展の舞台裏
──熱狂を生み出す仕掛けのハナシ

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